ビジネス文章の翼:各論#9

〜社内文書・就職・昇進昇格試験作文のために。実用文や論文の書き方、文章力向上のツボ!

ビジネス論文での演技

(こちらより続く)…同様の問題を、ビジネス文章にも見ることができる。

サラリーマンや公務員としての生活では、無責任・無関心にならないと危険きわまりない場面が多々ある。組織が大きければ、毎日そうだと言っていいかも知れない。従って長く勤めているうちに、知らず知らずある程度の無責任・無関心が身に付くことは致し方のないことだ。むしろそれは、組織の一員として環境に適応した、あたりまえの姿と言っていいだろう。

しかし昇進試験で求められるのは、それとは全く逆の姿である。ここに素のままの自分との、大きな断絶が生じる。ゆえに答案で演じるべきは、「士気の高い者としての自分」あるいは「自分なりの士気の高い姿」であって、決して「素=(程度の差はあれ)無責任無関心」であり、かつ「士気の高い姿」ではないはずだ。すぐに分かることだが、これは背理だからである。

「冗談じゃない。私は無責任でも無関心でもない」という声が聞こえそうだ。誰がどの立場で見てもその通りなら、この稿はご無用である。しかし私にとって、この背理した答案を拝見する機会は、実に多い。他者が読めば「私はやる気がありません」とすぐわかる文章を書きながら、上記のような、サラリーマンとして正当かつ必要と言って良い適応が進んだ結果、書き手は全くそれに気が付かなくなっているのである。あるいは気が付いているのかも知れないが、自分の殻から抜け出すのは苦痛だから、避けているだけなのかも知れない。これまた、無理からぬことだ(にんげんだもの)。

ただ残念ながら、このように自分が何を書いてしまっているのかを知らないまま、どこかで聞いたような「やる気」のありそうな言葉をちりばめるだけで、読み手に「やる気」を認めてもらえるだろうか。これはたとえるなら、天下を目指さず領土を拡張する気もなく、いくさに投げやりな信玄公が、外見だけはきらびやかな甲冑を身につけ、風林火山の旗を押し立てているようなものである。これではにぎやかにホラ貝を吹き上げようが鬨(とき)の声を上げようが、まるで絵にならず騒がしいだけである。家臣は足軽に至るまでやる気をなくし、敵は小ばかにするだろう。観客はもちろん、強そうだとは思わない。

このような文章を書き連ねるのは意欲の問題だから、人事担当者が文章を、大目に見る大義名分が立たない。ましてやその場は学校ではないから、「がんばりましたね」とさえ言われず、昇進させてももらえない。かようにビジネス文書の読み手とは、字面だけの演技にだまされてくれるほど、甘くないのが現実だ。ゆえに昇進試験であれ対外プレゼン文書であれ、書き手は心底「士気の高い者としての自分」になり切り、演じる必要があるが、それは決して、素のままの自分で、どうにかなれる姿ではないのである。

合格答案を書きたいなら、望まれた姿を演じねばならない。素のままの自分で押し通すなら、望みは叶わないと知るべきだろう。苦しいけれど、仕方がない。

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